これ以上、誰かが死ぬのを見たくはなかった。それが詭弁だということはわかっている。
この手だって、多くの人間の命を奪って。そのひとりひとりに家族や大切な人がいた。
矛盾していようとも、オレは軍に戻ってきた。この戦いを終わらせるために。
ダーダネルスでの戦闘で、懐かしいものを見た。
そんな感慨にふけるような優しいものではなく。
それによって戦場は混乱し、不要な犠牲もたくさん出た。
どうしてこんなことになってしまったのか。
なぜ、フリーダムやストライクルージュがあの戦闘に介入したのか。
それを確かめるために、オレはまた海の見える街に立つ。
まずは聞き込みか。
近海での戦闘を、見た人はいるはずだ。
アークエンジェルの行方も、わかるかもしれない。
アスランは街のほうへ足を向けた。
「アレックス…?」
そのとき。いきなり掛けられた声にこおりつく。
この声。
こんな異国の地で、オーブでの偽名で自分を呼ぶものなどいるはずもない。
けれど、ディオキアからはかなりの距離があるのだから、まさか。
恐る恐る振り返る。
間違いであって欲しかった。
「ネオ………さん……」
ディオキアで男が名乗った名を呼べたのは、最近戦闘にしてもそのほかのことにしても揮わない自分しては、これ以上ない快挙だった。
…ここにいる理由は訊かれなかった。
ディオキアの人間ではないと言っていたけれど、こうしてザフトの戦艦と時を同じくして現れる自分を、旅行者だと思ってくれるとは到底思えない。
同様に。
オレ自身、ネオという男の正体に、うすうす気がついていた。
だから、会いたくなかったのに。
ネオは先日と同じようにサングラスをかけていて、今回は外そうとはしなかった。
「覚えてたんですね、オレのこと」
相手にしてみれば、ただのナンパとやらだったのだろうに。
セリフはなんだか宙に浮かんでいた。
対する自分は、時間が空けば男のことを考えていたような気がする。
頭、ハツカネズミになってないか?
ふと、懐かしいセリフを思い出す。
それは自分の性分だからしかたない、とあきらめていた。
考えすぎるのはよくないと理解してはいるのだけれど。
自分は昔からあまり変わらないな、と思う。成長していないとは思いたくないけれど。
こうしてまた軍に戻ってしまったことを考えると、やはり成長はしていないのかもしれない。これが、自分が今すべきことだと…
でも。戦場に現れた、カガリは、キラは。
変わってしまったんだろうか?
戦闘を止めたい気持ちは痛いほどわかるけれど、今、ああして出てくることが解決になるとは思えなかった。
あのとき、同じものを見て、感じて、願って…
わかりあえていた、みんな。
キラもカガリもラクスも……………フラガ少佐も。
なのに。
流れる時間はなにかを変えていく。
あたりまえのことだ。でも、変わらないものがあったはずなんだ。
この想いも、与えられる愛も、
…変わるはずないと、ただ、盲信してた。
「忘れてほしかったんなら、あの立ち去り方は逆効果だな。…忘れられなくなる」
低く真剣みを帯びて響いた声に顔を上げる。
今は、サングラスが邪魔に思えた。男の思惑がわからない。
「取材で。…ザフトの艦を追ってるんだ。近くにいるって話だから」
男は話題をするりと変えた。少しほっとする。
「そう…なんですか。オレは…ひとを、捜してて」
これが腹の探りあいなんだとすると、つまらない茶番だ。
それでも男は続けた。
「ふうん。見つかったの?」
「…いえ…」
キラ、カガリ。
見つけ出して、なにをどう問えばいいのだろう。とにかく会って、あんなことをするよりもオーブに戻るように言わなければ。
…少しだけ、怖かった。
彼らが本気で敵になろうとしているとしたら。
「じゃあ、きみが捜しているのは、今日だけオレってことで」
「……はあ?」
一瞬、なにを言われているのかわからなくて、首をかしげる。
表情を窺っても、なんの変化も見られない。
「つまり、きみの一日、オレにちょうだい?」
早くキラたちの消息を突き止めて、ミネルバに戻らなければならない。
けれど、会うのをためらうこの葛藤は。
男の差し出す手に、自分の手を載せたくなる衝動に置き換わる。
男の手は、意外なほどあたたかかった。
「じゃあまず、ストーカーを撒きましょうか」
「…は!?」
男の不穏な発言に訊き返す暇もなく、手を引かれて街中を走り出した。
意味もわからず逃避行を続ける。
「はあ、はあ…。なんなんですかっ、いったい…」
流れる金髪を睨む。どうして自分はこの男に引っ張られて走っているんだろう。
だいたい、ストーカーってなんなんだ…
「こんなやみくもに走ってて、迷ったらどうするんですっ?」
そう大きくない街とはいえ、初めて訪れた街の、しかもこんな路地裏を。
「だいじょうぶ。オレ、勘はいいから。……もう平気かな」
男はあたりを注意深く見回してから足を止めた。昼間だというのに、薄暗い場所。
「…犯罪者かなにかなんですか、あなた」
「なにそれ。ひどいな」
盛大なため息をつくと、男は苦笑した。
男がもし自分の思っているような人間なら、こうして街を走り回る必要がどこにあるだろうか。
「…手。離してもらえませんか?」
「ああ、ごめん」
ずっと握ったままだった手を離してもらう。
よく見ると、手にも痛々しい傷があった。おそらく、体中傷だらけなのだろう。
顔の傷は、まだちゃんと見れない。
「…それで…なんなんですか、こんなところにつれてきて…」
「ん…そうだな。なにしよーか」
ふざけたような物言いに、アスランは男を睨む。
「そんな怖い顔しなさんなって。せっかくの美人が台無しだぜ?」
「な…っ、………んっ」
言い返そうと開いた口を、なにかにふさがれる。
手を引かれて、腰に手が回る。
なにか、が男の唇だと気付くのに時間はかからなかった。
「っ…ん、…や…、ネ……っ…」
逃れようともがくが、背は壁に受け止められている。
その間に、男の舌はアスランの咥内を犯していく。
熱い吐息に、どうにかなってしまいそうだ。
そして、錯覚する。
「ぁ、…フラ…、…っ」
「………」
窒息しそうなくらい長い口吻けが離れる。
間に引く銀糸は、つ…と消える。
「…キモチよかった? 立ってられる?」
「…っ」
息が上がっていて、言い返すこともできない。それに、男の言うとおり、足にうまく力が入らない。
「どっか、その辺入ろうか」
それがこの前のような喫茶店ではないことはわかっていたけれど、肩を抱かれて身体を支えられる身としては、どうすることもできなかった。
部屋に入るなり、寝台に身体を投げ出される。
続いてのしかかってくる男の身体。
ふさがれた唇はさっきより激しくて、なぜだか甘い。捕食されそうな気分にさえなって、それすら甘美に思えた。
「んっ…ふぁ…、…、…ん」
心地よさに目が眩みそうだ。懐かしいような感覚。
頭ではわかっているのだ、別人だと。なのに。
「抵抗しないんだ?」
いったん離れた唇に、からかうように言われて顔を赤らめる。蒼の瞳がひどく近い。
抵抗もなにも、両手は男によって寝台に縫い止めれている。足には力が入らない。体温が上昇していく。
「……利用すればいいんだぜ?」
思いがけない言葉に瞬く。意味がつかめなくて、男を見返した。
すると、自嘲気味の笑みが返される。
「おまえがオレに誰かを重ねてるってことはわかってるよ」
男は静かに言った。なぜ今、そんなことを言われるのだろう。
利用…、とはつまり。男を彼の代わりにしろということなのだろうか。
「オレに悪いなんて思うことはない。敵同士なんだから遠慮することはないよ。わかってるんだろう?」
「っ……、そ、れは…」
敵同士。
やはりか。男は、地球連合軍の人間だ。
動向を感知し、追い追われる敵軍の軍人同士であるからこそ、こうしてふたたび会うことになったのだろう。
惹かれあう運命…なんて、そんな少女趣味思考は起こらなかった。
「オレはおまえさんを気に入った。おまえはオレが気になってる。それでいいだろう?」
身勝手な言い草にめまいを覚える。そうであっても、自分たちは敵同士だ。誘惑は甘く脳髄に響くけれど。
「そういうわけにはいかない。あなたの目的がわからないし…俺たちは、敵同士、だ…」
敵同士…そう口にすると。胸がちくりと痛んだ。敵とはなんだっただろう。なぜ戦うのか。
その答えは2年経った今でも、まだ見つからない。
「目的は明らかだろ。…こーいうコト、しようって言ってるんだよ」
みたび、口吻けられる。身体を動かすことはかなわなかった。それでも、まだ、関わらないことを選べたのに。
「…ぁ…」
拘束をすり抜け、懐に伸ばそうとした手は金属の冷たい感触には届かず、男の胸元を掴むに至った。
手が下半身に伸ばされ、息をつめる。
つながりは深まって、握り締めた手に力がこもる。
そのまま上着を器用に脱がされ、男の手がホルダーにかけられる。
抵抗することもせず、唯一の武器は簡単に取り去られてしまった。
サイドテーブルに置かれた銃を目で追って、もう引き返せないことを知る。感じるのは後悔か、もしくは…
「んっ、………しょ…う…さぁっ」
インナーに手を差し入れられ、胸をなで上げられる。弱弱しく彼の名を呼ぶと、上で笑った気配がした。嘲笑は、アスランに向けてか、それとも自分へか。
ふたりが出会い、こうして肌を重ねることは、確かに愚かである以外の何者でもなかった。
「…少佐? ザフトには、階級はなかったんじゃなかったけ?」
「! …あなた、には…かんけ…ない…っ」
利用しろというなら、演じてくれればいいのに。
アスランは訊き返す男を睨む。
元は敵同士でありながら出会うことになり、そして親しくなった過程は、自分の中だけの宝物だ。
服を脱がされるのもされるがままになる。
あらわになる肌に舌を這わせられ、身を震わせる。首に手を回すと、まるでねだっているかのような行動になってしまった。
「なんだ…そんなに欲しい?」
吐息に載せたかすれた声は、やけに蠱惑的だ。はっとして視線を上げると、蒼い目に射抜かれる。
「おまえさん…本当の名前はなんていうんだ?」
ゆるい愛撫は、自白剤のように言葉をせり上げる。
言いかけて、口を閉じた。そして、淡い期待。
「あなたの…名前は…?」
求める名前がその口から出たら、そうしたら、どうするつもりだったのだろう。
「オレは嘘はついてないけど。まあ……好きに呼べばいいさ。それより、本名で呼んで欲しいんじゃないの?」
髪を撫でられると既視感に胸が高鳴った。
「気のせいだったかな? ―――アレックス?」
呼ばれた偽りの名に首を振る。その声で、本当の名前を。
「………アスラン…っ」
吐き出してみると、思ったより簡単だった。男の首に手を回す。
「…………アスラン」
そうすることで近づいた耳元に、名前を吹きかけられる。それだけで身体は熱くなっていった。
「少佐……っ」
まるで、あの頃に戻ったみたいだ。
しあわせだった…あの。
「ぁ、あ…、……そん…、しな…いで…っ」
ぐちゅ、と水音が狭く暗い部屋に響く。
「…ぅ…、や……ラ…しょ…さ…ぁ」
穿たれた楔の熱さに、アスランは感じ入った。
湿ったシーツが気持ち悪い。
「あ…も…っと…、…ひぁっ」
「もっと…なに?」
耳をくすぐる声は、彼そのものだ。その奥まで犯すように、舌が入り込む。
「は…ぁん…、も……と…、おく…」
「…こう?」
「…――――っ」
奥深くを突かれ、声にならない悲鳴を上げる。
「アスラン…―――アスラン」
「あっ…あ…少佐……っ!」
世界が白く染まる。
このままこうして、夢見心地のまま…
ずっとこのときが、続けばいいのに。
目を覚ますと、男の姿はもうなかった。
サイドテーブルの銃は残されていて。それが自分を現実へと引き戻す。
耳に残る、自分の名を呼ぶ声。
それはしばらくの間、消えることはなかった。
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